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1 江戸領内小仏蘭西藩 ★ :2019/05/03(金) 06:24:17.68 ID:cifNjdoK9.net

5/3(金) 6:00配信 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/11785?page=1

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2013年に他界した三國連太郎 ©文藝春秋

「父親としての認識はほとんどないんです。僕が小学5年のときに彼は家を出たわけだけど、その前もそれほど家にいる人ではなかったし、生活を共有してるという意識はほとんどなかった。たまに彼が家にいると、食事を一緒にするのが苦痛、という親子の距離感でしたから……」

 さる4月12日。故・三國連太郎の「7回忌」がおこなわれ、西田敏行、北大路欣也、三田佳子、岩下志麻ら、日本を代表する俳優がずらりと顔を揃えた。

 三田佳子は自身のブログを更新し、
〈多くの作品で三國さんのオーラを体感してきたからこそ、私の身の内にも『俳優・三國連太郎』のスピリッツが残っている気がします〉
こう綴って、三國との数々の共演作品をふりかえった。

 この「7回忌」を取り仕切ったのは、三國の長男で俳優の佐藤浩市(58)。息子の寛一郎(22)も役者の道に進み、いまや親子3代、俳優道を歩んでいる。

 三國が90歳でこの世を去ったのは、いまから6年前、2013年の4月14日のこと。生涯に4度結婚し、佐藤は3度目の結婚相手との間に生まれた。だが、佐藤が11歳のとき両親は離婚し、その後、父と息子の深い交流はなかったという。佐藤が19歳で俳優デビューした後も、父子共演は数えるほどしかなく、確執が報じられたこともあった。
長らく父について語ることがなかった佐藤だが、7回忌を機に、亡父の思い出を「文藝春秋」に語った。聞き手は、晩年の三國に密着取材を続けたノンフィクション作家の宇都宮直子氏である。

 冒頭の言葉に続けて、佐藤は次のようにも語った。

「ただ、そういう一般論なんて僕には関係ない。父親イコール役者で何が悪いのか、と思っていますよ。僕にとっては役者・三國連太郎が父親であるし、父親・三國連太郎というのは役者なんです」

――お父さまの存在を思い出すのは、どんなときですか。

「家に仏壇があるのでね。あまり信心深い人間ではないですけれど、朝起きて、仏壇を開けて線香あげて、『親父、今日も家族みんなの健康を頼むよ』ってお願いするときには、思い出さざるを得ないです。
三國は散骨を希望していました。『なんで叶えてやらないんだ』と言われればそれまでだけど、なかなかできないものなんですよ。
一緒にいる時間が少なかったから余計にそう思うのか、僕の中でもまだ答えが出ていないけれど、やはり自分の思いとして、墓を作ってあげたいなと。だから彼の散骨希望は、僕が勝手にやめにしました」

※ 全文は記事で

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